Toshiaki Kitaoka

Toshiaki Kitaoka

北岡稔章 Solo Exhibition -私は絵が描けない / I can't draw a painting-

 LONGYの3rd Exhibitionとして、写真家 北岡稔章の個展を9月15日から5日間にかけて開催する。北岡氏とLONGY代表の鈴木氏は、雑誌や広告の仕事などをともにする間柄だが、仕事としての「企画」の枠を飛び越えた、北岡氏本来の写真を通した表現を展示したいという、鈴木氏の熱烈なラブコールのもと本企画は実現した。作品づくりや展示に込めた想いなど、北岡氏の写真にかける気持ちの真ん中を知りたいと、展示2日前の夜、このインタビューは行われた。

写真を表現として、生業としたきっかけは?

 写真家を目指す前は、建築家になりたいと考えていました。アメリカの建築家、フランク・ロイド・ライドに憧れを抱いていて。

高校を卒業後、故郷の高知を離れ、建築士を志して大阪に出たが、現実はそんなに甘くはなかった。 

 気づいてしまったんです。当たり前ですが、そんな簡単にフランクにはなれるはずがないと。設計士になっても、すぐに自分の想像をカタチにすることもできない。そこでフランクに憧れを抱いたきっかけは何だったのだろうと思い返し、それが雑誌のcasaBRUTUSだったことに気づきました。自分は建築士ではなく、彼を伝える雑誌をつくる編集者やデザイナーや写真家の方が目指すべき所なのかもしれない。その中でも見たものを瞬間的に表現することができるのは写真の力だ、そう考え、写真家を目指すためにビジュアルアーツ(大阪校)の写真科へ進学しました。

学生時に強く学べたことはありましたか? 

  ビジュアルアーツの夜間部に進学し、昼は飲食店でアルバイトをしながら、写真とは、写真家とはどういうものかを学びました。撮る工程もそうですが、作家として、写真をどう表現するかを多く学ばせてくれる環境で、また夜間部ということもあり同世代はほとんどいなく、30代から60歳くらいの方も在籍していて、人生経験の差は圧倒的。言葉遣いや礼儀などの人間的なことや、生きていくための厳しさも10代の頃から教えてもらえる環境だったことは、今思えば貴重な経験でした。

キャリアのスタートとして東京に出てきた経緯は?

 高知の家を出るときは、東京は怖いところだと感じていたこともあり、大阪を進学先として選択しました(笑)。ただ、やっぱり面白い仕事は東京にある、面白い人は東京に集まっている。正直まだ東京に対する怖さもありましたが、カメラマンとして生きていくなら、腹を括る、怖いなんて言っていられないと、東京の撮影スタジオを就職先として選択しました。スタジオマンとして経験を重ね、3年ほど経った頃、独立を決意しました。

激しい競争社会の東京。仕事は順調に?

 独立はしましたが、もちろんすぐに食べていけるほど甘くはなく、3-4年間は月に1本程度の仕事をいただけるかという感じで、独立後もロケアシスタントなどを行っていました。当時はSNSなどで発信することもできなかったため、出版社に営業の電話をかけたり、人づてで編集者を紹介してもらったりを繰り返していたのですが、なかなかまともにとり合ってもらえず。いただいたひとつひとつの仕事を大切にさせていただきながら、空いた時間には仲間を集めてシューティングし、海外誌に送り続けるような生活をしていました。海外誌での掲載を含めて、少しずつ実績を重ね、写真家一本で生活できるようになったのは20代後半に入ってからでした。

現在は仕事としてご活躍するいっぽうで、展示などアートワークに力を注いでいる印象があるが?

 お仕事をある程度いただけるようになったことに大変感謝しつつも、自分の中で手応えがあまり無いケースもあって。当たり前ですが、コマーシャルはクライアントの要望がある中で、自分のエッセンスをどれだけ注げるかを第一に考えます。良き評価をいただけた際はプロとして自信がつく反面、自分本来の描写が出しきれないことにジレンマを抱えるようになりました。このままだと、自分のアイデンティティが消費されてしまう、ワクワクが少しずつ削がれてしまう……。いただいた仕事を大切にしながらも、どこかでバランスを取りたいと、自分本来の表現を、展示などを介して行うようになりました。仕事は仕事として大切に、しっかり取り組まさせていただきながら、自分本来の表現をさまざまなカタチで発信し続けることで、幸いなことに僕本来の表現に近い描写のお仕事も少しずついただけるようになって。このバランスをとりながら表現を続けていくことで、きっとどんどん仕事と自分の作品が=(イコール)に近づいていく。そう考え、定期的にこういった展示をさせていただくようになりました。自分を常にワクワクさせた状態でコントロールしたいという思いもあります。

自身本来の表現に対する手応えは当初から感じていた?

 初めての個展は確か2015年、吉祥寺のカフェの一室をお借りして行いました。人数とか売上とかではありませんが、手応えは感じることができました。友人や仕事関係者、初めて見てくださった方の「いいね!」という生の反応が嬉しくて。自分の中でなんだか答え合わせができた感覚が生まれ、こういった表現も大切に続けて行こうと思いました。今でもたまに、今日の仕事は何がダメだったんだろう、光なのか?シチュエーションなのか?洋服やヘアメイクとのバランスか?そんな答えの無いムズムズ感をもつことがあります。ただ、このモヤモヤは一生付き合っていかなければいけないし、時代の変化とともに自分も進化し続けていかなければいけない。展示をすることは時間もかかるし、考える時間もたくさん必要です。仕事と並行して続けていくことは正直大変な部分もありますが、そういった自分の中のバランス取り、答え合わせをするためにもこれからも続けていきたいと考えています。

展示タイトル【-私は絵が描けない / I can't draw a painting-】はどういった背景から?

 柴田敏雄さんと鈴木理策さんが、写真と絵画をセッションさせる展示を行っているのを拝見して。〈アーティゾン美術館 2022429-710日開催〉こんな音楽みたいなセッションもできるんだ!と感銘を受けて。絵画として描かれた作品を解釈して、自分の写真を介してアプローチする。こんな事が表現として可能なのかと。その時思い出したんです。過去に僕はマーク・ロスコやジャクソン・ボロッコの抽象的な作風に影響を受けていた、そこには極端に言えば感情に対する生とか死とか、そういった思想も乗っかっていて、自分もそういった表現をしてみたいと当時思ったことを。ただ、僕は絵がまったく描けなかったんですね……。でも今は写真という武器がある、絵が描けなかった僕でもそういった表現ができるんじゃないか。そう考え、今回のタイトルをもとにこの展示を行うことにしました。

この展示で伝えたいことは?

 今の時代は良くも悪くも解像度が高く見えすぎている。曖昧な部分、想像する余白、色彩に惹かれてココロオドルような直感的な部分、そういったことも大切なのではないかと考えています。絵を描く工程とは違い、写真はそこに存在する実物を写します。ただ、レンズを通して見えてくる違う世界がそこにはあり、角度をズラしたり、ピンの深さで様々な表現として落とし込む事ができる。そういうアプローチによって、ただそこにあるいつもの風景が豊かに感じられたり、ちょっと息苦しい社会だけど、色鮮やかに感じることができるようになったり、そういった捉え方や考え方で、ポジティブに生きることができるじゃないかということを伝える事ができればと。あと、これは単純に自分の希望なんですけど、みんなもっと自由であってほしいなと。色々なしがらみや、人間関係とか、悩むことも多くあると思うんですけど、こんな手法もある、こんな色彩もあるんだって、僕の写真と出会って、ほんの少しでも自由さを与えてあげることができればと願っています。

最後に、展示、写真集、それぞれの掲載作品については?

 この個展のオファーをいただいたとき、まだ内容は全く想像もしていませんでした。様々な出会いから、この内容にしよう決まった時、写真集(本)としての表現も素敵なんじゃないかと考え、写真集も制作しました。展示と写真集、それぞれが限られた空間の中で、空間や紙のサイズと協調しながらも、それぞれのレイアウトの中で主張できるような作品をセレクトし、展示・掲載しています。LONGYでは自然光のやわらかさと、コンクリの硬さが気持ち良く交わる空間の中で、色彩が強いものを並べた方がいいじゃないのか?あの空間ならその色彩を大きく、はっきりと見せたいという思いがあり、作品はA1というサイズを選択させていただきました。写真集には人物写真も組み込んでいたりして、それぞれの良さを感じとっていただければと。展示は光の入る角度や、色温でも作品の見え方が変わる、また見る位置を一歩横にズラしてみるだけでも、ちょっとした違いや新しい気づきがあるんじゃないか、そんなインスタレーション的な感覚で楽しんでいただければと考えています。

ARTIST PROFILE   北岡稔章 /TOSHIAKI KITAOKA

19861024日生まれ  写真家 高知県出身

スタジオ2社を経て独立。空気をまとった穏やかな作風が印象的で、雑誌やWEB、様々なメディアでの撮影を中心に、広告などでも活躍の幅を広げる。展示やアートワークも精力的に行い、業界内外問わず、芸術感度の高い人たちから支持を集めている。